104番目のテーマ・・「自分のための時間を作ろう」

# VIVA MY LIFE

プロジェクト104「Tulips」 

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使い方・①上の絵の画面の真ん中をクリックすると、スクラッチの画面に移ります。

「自分のための時間を作ろう。」 

子育て、介護と追われてきた自分を振り返りましょう。

私の母が亡くなって、もう12年になります。いろんなことがありました。平成7年から11年間の介護でした。家族、皆が、母のことで、明け暮れしました。平成15年、従兄が、発起人になって、母の88歳の誕生祝い(米寿の祝い)を、5月に、やってくれました。親戚の従兄たちが、わざわざ、我が家に集まってくれました。それだけ、母は、親戚中から、一目置かれる存在、「なんでも相談できるおばちゃん」だったのです。母は、母の兄弟の中でも、一番の努力家で、真面目なクリスチャンの女性でした。そんな楽しいお祝いの後の7月7日に、多発性脳梗塞の意識失調(老人性てんかん発作?)で入院しました。私は、毎日、母の様子を見たり、必要なものを届けたりと、病院に通いました。病院では、「あの人が、入れてくれたお茶には、毒が入っているから、捨ててきて!」だの、「夜、病院の壁に大きな、お化けが出る。」だのと、言いだしました。大声で、独り言を言うようにも、なりました。六人の大部屋から二人部屋に移されましたが、そのうちに、横の患者さんも母の独り言についてゆけず、逃げてゆきました。三ヵ月の入院でした。終末医療の病院への転院を勧められましたが、自宅で介護することにしました。こんな大声で、一日中しゃべっていたら、病院のスタッフや、患者さんたちにも嫌われてしまうと思ったからです。ケアマネージャーさんに、ケアプランを作ってもらいました。

三か月の入院でしたが、歩行障害で、寝たきりになりました。入院中は、嚥下障害で、食べ物を、のどに詰まらせていました。右手も使えなくなりました。退院後も、右腕や左足などに痛みがあり、痛がりましたので、マッサージ師さんにマッサージを頼みました。嚥下障害は、家に帰って、伸び伸び大声が出せるようになり、直りました。

母は、亡くなる三日前に、私と主人を枕元に呼んで、「ありがとう。」「さようなら。」と言いました。「まだだよ、おばあちゃん。」とは言ったものの、胸騒ぎが、ただものでなかったです。いまでも、あの時のことを忘れません。

母は、父との約束通り、自分誌「随想佳泉」をまとめて、平成9年に発刊していました。「慌てずに、焦らずに、あきらめずに」早め早めに、物事に、挑戦してきた母なのです。

せっかちで、失敗ばかりしてきた私ですが。残りの人生を、母を見習って、「何かに」に挑戦していきたいと思っています。

 

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