# VIVA MY LIFE
project 263「ボー先生」
https://scratch.mit.edu/projects/317047832/editor
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今週のお題「おとうさん」
「父の恩は山よりも高く、母の恩は海より深し」
父母の恩は、極めて大きいということです。
父と母がいなかったら、私は、この世にいなかったし、「日本の歴史」も、「日本の四季」も、知ることはなかったでしょう。
おとうさんへ
本棚から、昭和27年に小学校の文集に載った「お父さんの顔」というタイトルの詩が出てきました。「お父さんの顔は、長くて、馬みたい。眉毛は、真っ黒、毛虫みたい。・・・」とありました。もう、お父さんが、71歳で亡くなって、35年経ちます。今、私は、若くて、元気なお父さんの姿を思い出しています。
お父さんは、とても忙しい人で、子どもの造形美術教育の教育者の一人として、「小学生毎日」や「東京新聞」の工作や家庭欄、「小学生の雑誌」の科学や工作欄や、付録欄などに引っ張りだこでしたね。
何でも、引き受けるので、家族での計画は、いつも後回しでしたね。私と母さんは、編集者の人に、お茶を出して、原稿の出来上がるのを、待ってもらったこともありました。とても狭くて、小さな家だったのに、「いつも人が出入りする落ち着かない家」で、私は、嫌いでした。
でも、お父さんは、もっと大変だったのですね。昭和30年の東京新聞の「私のコラム」欄に、「私の日曜日」というタイトルで、
『「公私ともに、とても忙しくて、お風呂に浸かっている時だけが、ゆったりできる。
これは、私の理想の姿ではないのだが・・・』とありました。
昭和18年から、亡くなるまでの約40年間、お父さんは、恩師や同僚、そして、教え子たちに、愛されて過ごしましたね。
造形美術に関しては、何でも引き受けるので、「ボー先生」「ボー先生」と、重宝がられてもいましたね。
お父さんの重ね刷りの年賀状の木版画は、人気がありましたね。毎年、千枚以上の年賀状を「数色の重ね刷りの版画の賀状」に仕上げて、皆に、送っていましたね。
暮れに、紅白歌合戦を聞きながら、版木の見当に、ハガキの角を、ずれないように慎重に合わせて、刷りましたね。手づくりのバレンで、時々、バレンの皮を、「頭の油をチョイとつけて!!」と、頭にこすりつける格好をしながら、一枚一枚刷り上げていましたね。今は、「便利な印刷」があります。各家庭で、「重ね刷りの年賀状」が、瞬く間に刷りあがってしまいます。
世の中の人、皆イラストレーターです。
スクラッチプログラミングで、アニメーションもできるのですよ。
お父さんが亡くなった年令を越してしまいましたが、私、もうちょっと頑張ります。
お父さんの教え子たちは、皆、立派になっています。
教え子たちの一層の「活躍と幸せ」を祈っていてくださいね!!
今週のお題「おとうさん」