262番目のテーマ「雨後の筍」

# VIVA CULTURE

project 262「あ!羽ありだー」

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https://scratch.mit.edu/projects/312071227/

「雨後の筍」

雨の降った後、筍が生き良いよく、あちこちに出るように、次から次へと、物が続いて多く出てくるたとえ。

子どもたちが、幼い時、千葉に住んでいた。千葉の家の裏山に、不動産会社の竹林があり、4月後半から、5月に、各家族、三々五々に筍ほりをした懐かしい思い出がある。雨上がりの午前中に、皆で山に入った。太陽の光で、明るく照らされた、竹の根元、枯葉の間から、少し盛り上がって「わたしはここよ」と筍が、教えてくれるのだ。その筍の30センチくらい離れた所に、鍬を入れて、筍を掘り起こすのだ。地下茎でつながっているので、そのつなぎ目付近が、切り離されれば、大成功だ。大きい筍、小さい筍、皆、2,3個取ったら引き上げる。お隣さん、近所のお家におすそ分けして、お料理開始だ。まず、堅い皮を取り外し、筍の底に包丁で、十字に切り込みを入れ、糠をいっぱい入れて、大きなお鍋で一時間くらい、ゆでるのだ。皮を取ると、クリーム色の、やわらかい、筍が出てくる。あく、えぐみも取れて、そのまま食べてもおいしいが、やはり、たけのこご飯が、一番だった。といだお米の上に、刻んだ筍、刻んだ油揚げ、醤油、みりん、だしを入れ、炊飯器で炊いた。新鮮な筍だから、すぐおかまが空っぽになった。若かった頃の思い出だ。あの頃は、PTAの役員もやっていたっけ・・・

  

「雨後の羽あり」

R1年5月、今年は、5月半ばから、真夏日のような暑さが続いた。そのため、雨上がりの、蒸し暑い午前中に、台所の出窓のあたりから、羽ありが、飛び始めた。いつも、7月、梅雨の明けた蒸し暑い日に、出てくる羽ありだ。警戒はしていたが、早々と、現れた。部屋の中を飛ばれると厄介なので、小窓を開けて、外へ追い出した。昼間も電灯をつけていたので、電灯の周りにも、数匹が、舞っていた。去年、使った「ハエとりリボン」をつるして、なんとか、対処でき、やれやれというところだ。この家も築40年、あちこち、リホームしてきたが、ガタガタ、ああ、ガタガタだ。でも、まだまだ、負けないよ。ゴキブリも、ほとんど出なくなったから、羽ありも、やがては、出なくなる。私と羽ありの知恵競べだよ。メンテ、メンテが、大事だよ 。ついでに、断捨離もすることにしよう。

「雨二モマケズ風二モマケズ」・・宮沢賢治

『雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、慾はなく

奢らず、いつも、わらっている。一日玄米四合と、味噌と、少々の野菜を食べ、あらゆることを、自分を感情をいれずに、よく聞き、分かり、そして、忘れず、野原や松の林の陰の小さな小屋にいて、東に病気の子供があれば、行って看病してやり、西に疲れている母あれば、行って、その稲の束を負い、南に死にそうな人あれば、行って、こわがらくてもいいと、言い、北に喧嘩や、訴訟があれば、つまらないから、やめろと言い、日照りの時は、涙を流し、寒さの夏は、おろおろ歩き、皆に、」「でくのぼう」とよばれ、褒められもせず、苦にもされず、そういうものに、私は、なりたい。

・・・中学の時、暗唱した。だから、今でも、そらで、言えそうだ・・・。

南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩』 

**鎌倉・光則寺の本堂前に、宮沢賢治の「雨二モマケズ」の詩碑が建てられている。「雨二モマケズ」の内容は、法華経に説かれている「常不軽菩薩」(じょうぶけいぼさつ)の精神を表しているという。

 

R1年6月13日、脂肪味という味覚があるという話を、nhkのニュースでやっていた。

R1年6月13日、じゅじゅさんと三浦春馬さんの「世界は、欲しいものにあふれている」という番組で、イタリアの「国立ボローニア芸術学院」、ボローニア図書館、チューリッヒの絵本作家のオフィスなど紹介された。

ポプラ社の高村淳さんという編集者が、「心の動く絵本」を探し、絵本の世界を案内した。絵本の世界は、まだまだ、奥がふかいなー。

R1年6月13日、脂肪味というのが、人間の舌の味覚の中にあるという事が、分かったという。「味雷(みらい)」の中の味覚に、甘味、塩味、酸味、苦味、旨味の他に、脂肪味があるという。この脂肪味に、鈍感な人は、太りやすいらしい。生活習慣病になりやすい。生活習慣病のリスクが高いという。

・・その脂肪味が、感じられるかの感度は、食べ物の中の「オレイン酸」を感じられるからしい。