81番目のテーマ・・「来年の事を言えば鬼が笑う」

# VIVA MY LIFE

プロジェクト81「年賀状作成」

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使い方・・①上の絵の画面の真ん中をクリックすると、スクラッチ画面に移ります。

「来年のことを言うと、鬼が笑う」

未知を予知できるという鬼は、来年、どのような悪運が待ち構えているのかもわからないのに、楽しい夢などを口にする人を嘲笑って言う言葉です。将来のことは、どうなるか分からない、今から、決めることは、できないという意味です。いろはがるたの京都版に載っています。

私の父が亡くなって、33年になります。父は、昭和18年から、昭和59年までの40年間小学校の美術・造形教育に携わってきました。とてもとても、忙しい人で、昭和30年の東京新聞のコラムの「私の日曜日」欄には、「公私ともに、とても忙しく、お風呂に浸かっているときだけが、ゆっくりできる。これは、私の理想の姿では、ないのだが・・」とありました。昭和25年から30年にかけて、父のいろいろなアイデアが、東京新聞や、毎日小学生新聞に、掲載されていました。毎日小学生新聞の工作欄には、懐中電灯の作り方や、時間表のペン立ての作り方や、風向計や、変わり独楽の作り方などがありました。東京新聞の家庭欄には、簡単で、体裁の良いハエ帳の作り方や、春の盗難に備えた、簡単ブザーの作り方など、日常のアイデアが掲載されていました。学習研究社ポプラ社、開隆堂、平凡社誠文堂新光社、コーキ出版などからも、原稿の依頼を受け、貧乏暇なしの父でした。私も母と、教科書や、雑誌に出す作品作りのお手伝いをしたことを思い出します。

父は、毎年、いただく年賀状には、一枚一枚返事を書いて出しました。毎年、暮れには、二千枚くらいの年賀はがきを買ってきて、版木を3枚彫って、3色刷りのお返事年賀状を作りました。そのうえ、お返事は、いちいち、達筆な字で、一人一人に言葉を添えました。

父は、昭和59年12月に、自分誌「随想千秋」を脱稿し、年賀状のお返事の用意もしていましたが、暮れに、突然倒れ、意識を失い、翌年、昭和60年1月4日に、自分誌の発刊も見ずに、年賀状のお返事も出さずに亡くなりました。もう、父が亡くなって33年になります。

私は、平成25年(2013)、「父、坪内千秋の生誕100年記念誌上回顧展」として、ささやかな小冊子にまとめ、発表しました。(kindle Amazon