# VIVA KAMAKURA
project 549 「太田道灌」
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「太田道灌」
・太田道灌、父親が鎌倉の、扇谷上杉家の家臣であったため、鎌倉の扇谷のあたりに住んで、子供時代を過ごしたという。太田道灌の御屋敷跡に、徳川に嫁いだ太田道灌の「子孫の娘のお勝の方(英勝院)が、英勝寺(尼寺)を建てたという。
「山吹(やまぶき)」・「 山吹の里伝説」
⁂二つの話があります。??
①埼玉県越生(おごせ)へ、父親を見舞いに行く途中で、雨がふりだした。近くの農家に、簑の笠を借りに立ち寄ったという。すると、その家の娘が、申し訳なさそうに出てきて、「七重八重花は咲けどもやまぶきの実の(簑)一つだになきぞかなしき」といって、山吹の花の一枝を差し出したという。太田道灌は、むっとして引き上げたが、あとで、お付き家臣に、この古歌のいわれを聞いて、自分の教養のなさを恥じて、和歌の勉強を始めたという。
⓶東京、豊島区の面影橋(神田川)脇の碑。豊島区高田?辺に鷹狩りに行った。
途中で雨が降り出したので、近くの農家に、簑の笠を借りにたちよったという話だ。
すると、そこの家の若い娘が、「七重八重花は咲けども山吹の実の(簑)一つだになきぞかなしき」と、山吹の一枝を差し出した。道灌は、怒って帰ったが、後で、家臣に古歌の話を聞き、自分の無知を恥じて、和歌の勉強を欠かさなかったという。
「山吹の古歌」(1086)後拾遺和歌集
「七重八重花は咲けども山吹の
実の(簑)一つだになきぞ悲しき」
*東京や埼玉、「 山吹の里」「山吹町」など、太田道灌の話があちこちにある。
⁂神奈川の横浜には、築城の名人の太田道灌の逸話がある。
⁂落語の話にもなっている。「笑富林」(1833)初代林家正蔵の喋本がある。
【最近のニュース」
・R2年10月2日,
【最近のニュース」
・R210月3日、今日は、鎌倉西小学校の運動会。お天気も良く、皆元気そうだ。
がんばれ鎌倉っ子たち。