# VIVA CULTURE
「2019年上半期」
project 277 「Voyager」
https://scratch.mit.edu/projects/319210786/
海潮音(かいちょうおん)
山のあなたの空遠く、「幸」(さいわい)住むと人のいふ
ああ、われひとり尋(と)めゆきて
涙さしぐみ かへりきぬ
山のあなたに なほ遠く、「幸」住むと人のいふ
*山のかなたに、幸福があるというので、探しに行ったけれど、見つけられずに涙ぐみながら、帰ってきた。山のはるか向こうに、幸福が住んでいるとひとはいうのだが・・・
(絵本の「青い鳥」のように、幸せを探しに遠くまで出かけていくが、見つけられない。だって、幸せは、すでに、近くにあるのに、気づいていないのだから)
空を越えて雲は行き、野を越えて風はよぎる。
野を越えてさすらうのは、私の母の迷える子。
ちまたを越えて木の葉は飛び、木立の上に鳥は鳴くー
山のあなたのどこかに
私の遠い故郷は、あるに違いない。
**ヘッセは、牧師の家に育ったが、詩人になりたくて、神学校もやめてしまったという。この詩の中に、ヘッセは、自己の個性(アイデンティティー)、人生論、超自然的なパワーを求めているようだ。
「月日は 百代の過客(旅人)にして、
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カール・ブッセ、ヘルマン、ヘッセ、松尾芭蕉など、昔の人の言葉なのに、今の私達の心に響いてくるのは、なぜだろう。。それは、これらの言葉が、「人生の真理をついた言葉」だからだ。
人は、どこの国の人も、どの時代の人も、男も女も、昔から、「幸福」を求めて、さまよっていた。
私は、今、老いて、「引きこもり」気味だから、「山のあなた」に行ってみたいとか、旅行したいとかは、思わない。しかし、私にも、若い頃があった。そして、外国に憧れ、外国(スイス、イギリス、フランス、ドイツなど)に行った。
母の介護をしたり、子育てをしたり、PTAや、町会の役員をして、この年齢を迎え、
「人にして、遠き慮り(おもんばかり)なければ、
必ず、近き憂いあり」
で、人として、遠くまでの配慮がないようでは、きっと、身近に、心配事が、おこるという論語の言葉が、言っているように、「自分の「死」があることを考えながら、身近の身辺整理を実行していこうと思っている。でも、
「過ぎたるは、猶、及ばざるがごとし」
(行き過ぎるのは、行き足りないのと同じです。)
主人は、120歳まで生きるという。
だから、もう少し落ち着いて、いろいろなことを考え、実行してゆきたいと、思っている。
【最近のニュース】
R1年7月3日、中日ドラゴンズの応援歌「お前が打たなきゃ、誰が打つ」が、問題になっている。フジテレビの朝のニュース番組、「めざましテレビ」で、国語学者の飯間先生に電話取材している。「お前」という言葉の歴史を聞くと 、江戸時代前には、目上に、江戸後は、目下に使われるようになったという。
このごろ、「日本語のことば」が気になる。マスコミ、女学生たちに、どんどん作られていく言葉に、おばあさん,おじいさんは、ついていくのが大変だ。きょうは、「パタハラ」・・・パタニティ(父性)ハラスメント(いやがらせ)だ。