228番目のテーマ「憶良と万葉集」

# VIVA LITERATURE

project 228 「貧窮問答歌

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山上憶良(やまのうえのおくら)は、奈良時代初期の歌人である。

山部赤人(やまべのあかひと)とか、柿本人麻呂のように、儀礼的、叙情的なものは、歌わなかった。恋の歌より、子どもを思いやる歌を歌った。貴族の生活より、農民たちの生活に目を向けて、貧乏生活を問答の形で、写実的に表現した和歌を作った。この歌は、第5巻の長歌と、反歌である。

**長歌

風雑(ま)じり 雨ふる夜の 雨雑じり 雪ふる夜は

すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつつしろひ

糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに

しかとあらぬ ひげかきなでて  吾(あ)れをおきて 人はあらじと

ほころへど 寒くしあれば 麻ぶすま 引きかがふり

布肩衣(ぬのかたぎぬ)ありのことごと 着そへども 寒き夜すらを

われよりも 貧しき人の 父母は 飢え寒からむ

妻子(めこ)どもは 乞(こ)ひて泣くらむ このときは

いかにしつつか なが世はわたる

天地は 広しといへど 吾がためは さくやなりぬる

日月は 明しといへど 吾がためは 照やたまはぬ

人皆か 吾のみや然る わくらばに 人とはあるを

人なみに 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の

海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうちかけ

伏いほの まげいほの内に ひた土に 藁ときしきて

父母は 枕のかたに 妻子どもは あとの方に

かくみいて 憂いさまよひ かまどには 煙ふきたてず

こしきには 蜘蛛の巣かきて 飯かしぐ 事も忘れて

ぬえ鳥の のどよい居るに いとのきて 短かきものを

端きると 云へるがごとく しもと取る 里長が声は

ねやどまで 来立ちよばひぬ かくばかり 

すべなきものか 世の中の道 長歌)892

(風が混じって雨が降り、雨に交じって雪の降るみぞれの夜は、どうしようもなく寒いので、堅くなった黒塩をしゃぶり、濁り酒をすすって、咳をし、鼻をぴしゃぴしゃさせながら、ちょび髭を撫でて、自分をのぞいては偉い人間はないと誇っていても、寒さは、身にしみる。それで、麻のふすまをかぶるようにして、布で作った袖なしのちゃんちゃんこを、あるかぎり皆重ね着ても、それでも寒い。そのような夜を、自分より貧しい人の父母は飢えて寒いことであろう。その妻子どもはなにか食べたいと乞うて泣くであろう。こんな時は、どうしてお前は世の中を過ごしているのか。

天地は、広いといっても、自分のためには狭くなったのであろうか。日や月は明るく照っているが、わたしのためには照ってくださらないのであろうか。人は皆だれでもこんななのか。わたし一人がこんなであるのか。たまたま人間とうまれたのに、普通の人間と生まれたのに、普通の人間と成人したのに、綿も入っていない布のちゃんちゃんこの、海松(みる)のようにさけて垂れている襤褸(ぼろ)ばかりを肩にかけるように着て、貧しい倒れかかった小屋の内で、床もない土間の上に藁をといて敷いて、それでも父母には枕元の方にやすんでもらい、妻子たちは、足元の方にねて、自分を囲むようにいて、憂いうめいている。食べる物もないので、かまどには、炊くこともないので、煙もたてない。飯をむすのにつかうこしきにご飯を入れることもしないにで、蜘蛛の巣がかヵっており、飯を炊くことも忘れて、ぬえ鳥の鳴くように弱弱しい声で呟いていると、短いものをさらに端をきるという譬えのように、鞭(むち)を持った里長の声は、寝ているところまで怒鳴っているのが聞こえてくる。このようにして、してどうすることもできないのか人間の生きてゆく道は)貧窮問答の口語訳

    

 

**反歌* 

世の中をうしとやさしと思へども 飛びたちかねつ鳥にしあらねば(世の中をつらくはずかしいと思うけれども、飛び立ちかねている。鳥でもないから)反歌(1)

すべもなく苦そくあれば出で走り いななと思へど児らにさやりぬ(どうしようもなくくるしいので、家を出て走って行ってしまいたいと思うけれども、子らに後ろ髪ひかれて、いけなくなってしまう)反歌(2)

ひさかたの天道(あまじ)は遠しなほなほに 家に帰りてなりをしまさに(遥かな天の道は、遠いから、すなおに家に帰って、仕事に精を出した方がいいよ)反歌(3)

 

H31年5月8日

  私は、「憶良らは 今はまからむ子泣くらむ そを負う母も 吾を待つらむ」

  (   万葉集・第3巻-337)をこの歌のリズムが好きで、学校で習って、なんとなく、歌に親近感が持てて、すぐに覚えた。「貧窮問答歌」のことは知らなかった。この問答を読んで、憶良の生きざまと人間愛を知り、よけいに親近感が持てた。

そして、幼いころ住んでいた官舎の、道を隔てたところにあった二葉保育園の徳永ゆきさんのことを思い出した。ゆきさんは、家老の娘さんだったが、貧しい人に思いやりのある仕事をした人だ。それは、戦後の貧民の幼児教育のための保育園だった。

 

R1年5月8日、新天皇陛下宮中祭祀が行われた。天皇陛下は、伝統の興膳染御袍(こうろぜんのごほう)という装束で、宮中三殿へ、皇后陛下は、「おすべらかし」の萌黄色の伝統の装束だ。雅子妃殿下は、17年ぶりで、宮中三殿を参拝されたという。

父君と陛下、お二人が通われた学習院初等科の図画工作の教諭だった父が生きていたら・・・と思うと、とても感慨深いものがある。