136番目のテーマ「大老 井伊直弼公の墓所」

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プロジェクト136「豪徳寺のまねき猫」

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 https://scratch.mit.edu/projects/257568923

 大老 井伊直弼墓所」世田谷区豪徳寺

むかしむかし、この辺に、世田谷城があったので、お寺や神社が多い土地です。このお寺に井伊直弼の特別に大きな敷地にお墓が建つっていました。そして、別の敷地に主人のお伯母のお墓が、他の檀家さんのお墓と一緒にありました。

また、このお墓は、福を呼ぶ「招福猫児(まねきねこ)」のお寺としても有名です。

「上品なお顔をした招福猫児」です。家内安全、商売繁盛、心願成就のご利益があるそうです。

H30年10月20日に、家族で外食した、ご夫婦で切り盛りしている、てんぷら屋さん「ほりかわ」にも、豪徳寺の「招福猫児」が、飾ってありました。狭いお店には、次々にお客さんが来て、大盛況でした。

豪徳寺は、むかしは、とても貧乏なお寺だったそうです。ここの和尚さんも、とても慎ましく暮らしていました。和尚さんは、猫が好きで、自分の食べ物を分けてあげながら、猫を育てました。猫にいつもこう言っていました。「こんなに、お前を可愛がっているのだから、いつの日か、恩返しをしてくれよ。」と・・・。

夏のある日の昼下がりに、鷹狩の帰り数人の武士達が、慌てて,お寺に飛び込んできました。

和尚さんが、びっくりして、「何事ですか?」と聞くと、「鷹狩の後、馬に乗って帰路につき、このお寺の前を通ったら、猫が手招きして、お寺に招き入れたのです。」というのです。やがて、外では、雨が降り出した。雷も・・・。和尚さんは、お茶を出して、「三世因果の説法」をすると、武士たちは、とても喜びました。その中に、彦根の城主井伊掃部頭直孝がいたのです。すっかり感激した直孝は、やがて、豪徳寺を井伊家の菩提所とし、田畑をたくさん寄進したのです。猫のおかげで、福がやってきたので、「猫寺」と呼ぶ人もいます。

「信じられるのは、自分の実行力」‥ 吉田松陰

この近くに、松陰神社があリます。井伊直弼を指示し安政の大獄連座して、30歳で亡くなった吉田松陰を祀る神社です。

「夢なき者に理想なし 理想なき者に計画なし

 計画なき者に成功なし

  故に 夢なき者に 成功なし」・・・吉田松陰

H30年10月28日、渋谷のスクランブル交差点は、大変なことになっていたらしい。そもそも、日本人は、なぜ、外国の真似をするのだろうか?ハロウィンとは、・・・古代ケルト人の収穫祭のお祭りだというではないか・・・悪霊を追い払う行事(悪霊払い)もあるというが、テレビをみると、誰もかれも、悪霊自身ではないか・・・老人には、わからない・・・ハチ公も苦虫をつぶしているでしょうね。

H30年10月29日、高円宮様の家の絢子妃が、守谷さんのお嫁さんになって、民間人になられたそうだ。彼女が、小学生の時にお父様の高円宮様が、亡くなられたという。お父様も、天国から、喜んでお祝いしていらっしゃるでしょう。おめでとうございます。

あの衣装(小袿・こうちぎ)が貞明皇后様が着られた衣装というのには、なにか懐かしく、ちょっと嬉しい気持ちになった。お会いしたこともない皇后さまだけど、お亡くなりになったときの葬列を沿道に並んで、見たような気がするからだ・・

H31年4月7日、テレビを見ていたら、田中りさ子さんと、徳光さんと熊谷真実さんの「バス旅」で、世田谷の養鶏所(青い卵の卵掛けごはん)、千歳船橋豪徳寺(福  室庵のカレーうどん)を旅していた。豪徳寺のまねき猫の話も出て、主人のおばさんが、豪徳寺のお墓に眠っているので、興味深々で、聞き入った。主人は、今度お墓参りに行ったとき、カレーうどんを食べたいといっていた。